仙厓めぐり・初めての福岡編2(聖福寺と出光と石村)
九州国立博物館『白隠さんと仙厓さん』に合わせての九州旅行日記。
仙厓めぐり・初めての福岡編1(九州上陸) - konai1229’s blog
2日目(門司・出光美術館へ)
この日の目的地は門司にある出光美術館。この時の特別展は『唐物と茶の湯』で仙厓のせの字もありませんが、もしかしたら何かどさくさに紛れて仙厓さんの何かが展示されてないかな?という興味の為。
先に結論を書いてしまいますが、特に無かった。でも楽しかったからいいんです。
▼朝。まずは仙厓さんのお墓参りに聖福寺開山堂へ。西門から入ります。
が、入ってすぐに注意書きに『撮影禁止』の文字が…。がーん。最初気づかずにちょっと写真を撮ってしまったのですが、ここには載せないでおきます…。
▼幻住庵の説明看板。これも撮っちゃだめだったでしょうか?
この看板のすぐ横に幻住庵の山門があり、しばらく立ち尽くしたり、中をのぞき込んだり周囲をキョロキョロしたりとちょっと挙動不審な動きをしていましたが、朝早くて人通りも少なかったのでセーフ。
幻住庵の中にある虚白隠という庵が、聖福寺住職を退いた仙厓さんの暮らしの場でした。現在美術館などで見られる仙厓さんのゆる~い禅画のほとんどはこの虚白院で書かれたものです。
仙厓さんはここで書や絵をかいたり、畑仕事をしたり、草むしりをしたりしていたんだなぁと想いに耽ります。
▼仙厓さんのお墓
仙厓さんのお墓は聖福寺開山堂の裏にひっそりと有ります。
お墓の前には灯篭が立っています。この灯篭は、仙厓さんと親交のあった街の人々がお金を出し合って建てたもので、寄進者の名前を見ると、仙厓さんの禅画や伝えられている逸話に登場する人々の名が刻まれていました。
仙厓さんの事を、街の人たちも大切に想っていた証拠ですね。
▼湛元さんのお墓
仙厓さんのお墓の斜め向かいに『湛元和尚』のお墓も有りました。湛元さんは仙厓さんの愛弟子で、優秀だけど問題児でもあった湛元さんと仙厓さんの師弟エピソードがいくつか残っています。
湛元さんは仙厓さんから聖福寺の住職の座を任されてから26年後、とある事件から筑前大島へ流刑に処されました。そんな経緯もあって、なんとなく勝手に聖福寺にお墓は無いと思っていたんですがちゃんとありましたね(ごめんね湛元さん)。
▼聖福寺正面。
聖福寺は観光寺ではないので、境内の散策は出来ますがお堂の見学などは基本できません。立派な博多塀とか、仙厓さんがいた当時からある鐘楼とか、写真撮りたかったけど我慢です。
▼『これくふて御茶まひれ』の電柱。
ひとつ上の写真の山門の正面の道(T字になっている)を大博通り方面へ少し行くとこんな電柱があります。博多の町中にこのようなプチ歴史案内が書いてあって面白いです。
いつもならケチって乗らない特急も、せっかくだからと乗ってみました。電車旅楽しい。途中の小倉、門司あたりで雨はひどい土砂降りに…。
▼出光美術館 門司。
出光興産の私設美術館で、創業者出光佐三のコレクションを中心に展示されています。東京の有楽町にある出光美術館の姉妹館的な?
東京の出光美術館との違いは、こちらの門司には『出光創業史料館』という出光の社史を学べる展示室があります。
▼出光佐三と仙厓さん。
出光佐三は学生時代に父親に買ってもらった『指月布袋図』をきっかけに仙厓作品を収集するようになり、それらは今では最大の仙厓コレクションとなりました。「金は出光 目は三宅」といわれるほどに、その財力をもってとにかく沢山買い集めた…のかな?(※三宅とは、仙厓研究家の三宅酒壷洞氏)
こちらの資料室にも特別展にも仙厓さんのものは何もありませんでしたが、出光さんのことをちょっと知ることができました。
▼博多へ戻り、石村萬盛堂須崎本店へ。
博多の老舗和菓子店『石村萬盛堂』の二代目社長であった石村善右もまた仙厓に魅せられたひとりであり、多くの仙厓作品が福岡市美術館に石村コレクションとして寄贈されています。
▼仙厓さんのお菓子。
善右氏は多くの人に仙厓さんの事を知ってもらうために『仙厓さん最中』を売り出したそうです。プラリネクリームを挟んだ洋風せんべい『仙厓さんせんべい』も有ります。以前ネットか何かでパッケージに虎図を用いたとらやきもあった気がしますが、売っていませんでした。
▼店内では仙厓グッズが売られています。
図録まであるとは知らなかったので嬉しい誤算。
石村コレクションは、特に仙厓さんと博多の人たちとのふれあいを感じさせる作品が多くあります。上の写真にちょっと写っている「吹け吹けぷぷぷ」と凧揚げする子供の絵もとても可愛くて和みますね。
この日はこれで終了。