【自分用】仙厓さんと石燈籠寄進者

仙厓墓前の石燈籠は仙厓と親交のあった博多の人33名の寄進によるもの。

引用元 博多と仙厓 (文献出版): 1978|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

 

宮本陶斎

産婦人科の名医。博多御供街に住し、囲碁が好きで、非常に鼻の高かった人だといわれている。明治九年二月四日、七十六歳で歿した。法名は「崇仁院玄道静修居士」。仙厓の偽物を描き、(陶斎かきと云う)塑像の偽物も作っている。仙厓使用の印は、仙厓遷化後、陶斎がもらいうけ、陶斎の死後、釜惣にうつり、釜惣没落後、四散して今は行衛不明と伝えられている。仙厓廟前奉献石燈籠寄進者の一人。

 

 荒木正受

粕谷郡志賀島(福岡市)の医師。仙厓禅師廟前の石燈籠の名には荒木正寿とあり。仙厓より「寿老石」「花三島の茶碗」を贈られている。仙厓廟前奉献石燈籠寄進者の一人。

 

坂井宗平

坂井宗平又は惣平、萬屋宗平とも云う。享和三年、筑前国糟屋郡湊村(新宮町)堺忠七の三男に生まれ、明治十四年十月六日、七十九歳で歿した。博多奥堂町の酒屋、法名法喜庵禅道宗悦居士。仙厓から「宗平さんは金さえ儲ければよい人ぢゃ」と云われた。仙厓はお盆の底に「おごるなよ月の丸さもたゞ一夜 厓▲」と揮毫して与えたと云う。また、宗平は仙厓が山芋が好きだったので、山芋を持っていって仙厓にかかせたと伝えられている。仙厓廟前奉献石燈籠寄進者の一人。

 

大場善平

下沢善平とも云う。博多中町菱屋の足袋本舗の主人。仙厓の碁友達である。よく遊びに来ては納豆汁を注文したので、仙厓に納豆汁和尚と綽名したという。仙厓は善平の依頼で、足袋の看板を揮毫し「なん文でもおあし次第の足袋屋かな」と賛したと云う。弘化二年七月十四日歿。法名「顕誉樹功居士」。仙厓廟前奉献石燈籠寄進者の一人。

 

山崎吉兵衛

箱崎の網屋町に住み、のち博多官内町に移る。網屋吉兵衛とも云い、石心居士と号す。仙厓に「山崎君の母を喪する哀を同ふす」と題して「衣手にかかる涕のしら玉は我がたらちめの蓮子葉の露」の歌や、文政十二年八月三日、吉兵衛の請に、博多の漁人底網にて引上げたる行基焼を写して与う。仙厓廟前奉献石燈籠寄進者の一人。

 

立石静一

当時の俗語に、「七(質)は立石」といわれた。大浜町の博多一の七屋の主人。久明、又兵衛などと称し、千里観、吾有と号した。家業の傍ら文学を好み、俳句をよくし、『諸国四季』『ももかり』その他の著がある。粕谷郡戸原邑高田氏の子に生まれ、のち立石家の養子となる。文久二年八月廿日歿。年八十五。粕谷の農民の為新大間堤を掘り広く知られている。仙厓廟前奉献石燈籠寄進者の一人。

 

太田萬歳楼

博多上東町に住し、名は惟建、字は功甫、通称を豊後屋永蔵と云った。製臘業を本業とし、文具販売及び製薬(除風散)を兼業した。文墨の嗜瘕深く̪和歌、俳諧、絵、卜学をよくした。自らお萬歳楼袖彦と称し。法橋となる。東長寺六角堂の創建者で、仙厓から「大和留そふ太田」と云われ、安政三年十一月三日歿す。仙厓廟前奉献石燈籠寄進者の一人。

 

社家間善平

博多北船町の米屋。幼名を甚太郎と云い、嘉永七年三月十四日歿。年六十四。善平が枡で米を量っている図に、「こりゃ甚太郎、虚白隠へ行て書ものねたるまいそ」その他の仙厓の作がある。仙厓廟前奉献石燈籠寄進者の一人。

 

小林崎四郎

博多上浜口町の饅頭屋。通称八百屋崎四郎。文化元年「東饅頭」を製し、親孝行で藩主から賞与を受く。仙厓揮毫の「京都傅来御菓子所 八百屋箱四郎」の看板をかかげ、当時評判の饅頭屋であった。安政四年一月十日歿。仙厓廟前奉献石燈籠寄進者の一人。

 

小原孫平

博多廿町の紺屋。熱心な仏教信者で家業の暇なときは虚白隠に行って、玄関番をつとめたと云う。文久三年二月三十日歿。仙厓廟前奉献石燈籠寄進者の一人。

 

合甫長右衛門

博多桶屋町の鍛冶屋、「スッポーカッポー長」又は「カッポー長」と云われた。俳名を馬物と云い、非常な変物だったと伝えられている。仙厓から大変かわいがられ、七代目市川団十郎を仙厓に相見させたのはこの男である。また天保三年、仙厓が壱岐に遊んだ時、芦部の中村市左衛門から自然石の手洗鉢を贈られたのを、長右衛門は、翌四年五月、自ら船を仕立てもらってきて、虚白隠に届けている。仙厓廟前奉献石燈籠寄進者の一人。

 

 

一丸岩根

博多桶屋町の住人。仙厓が岩根像を描いて、「酒屋を飲み倒し、質屋を置き倒し、借家を借り倒す。これ何者乎。桶屋町の岩根々々」「酒か如来頼みます、毎日毎日五斗を祈るかおれか願いだ、たこぼうずどうか」「かぶ菜を煮てだまくらかし、かかせてくる」等と賛されている酒呑み、仙厓にたびたびねだって描かせ、これを博多中奥道の酒屋万屋へ持ってゆき、酒代にかえたという。仙厓廟前奉献石燈籠寄進者の一人。

 

 

大隈清蔵

福岡下名町の米屋。大隈言道の従兄で、言足、御風楼と号し、『大隈言足紀行』の著がある。嘉永六年九月三日歿。仙厓廟前奉献石燈籠寄進者の一人。

 

萩尾惣右衛門

福岡市湊町の八百屋惣右衛門、萩尾利兵衛の養子となる。仙厓の居士で彫刻をよくし、仙厓が大宰府戒壇院の為に揮毫した「聖武敕壇和会三国以築、鑑真結界顕四分以成」の聯を彫刻している。また仙厓が使用した印も刻したという。明治三年一月廿六日歿。仙厓廟前奉献石燈籠寄進者の一人。

 

岸田徴平

寛政三年、福岡市西唐人町、材木屋岸田長平の子に生る。当時、名石匠といわれた。この人の口添えで、仙厓に揮毫を頼むと断らなかったと云う。酒が好きで嘉永六年九月一日歿。年六十三。仙厓廟前奉献石燈籠寄進者の一人。

 

太田忠右衛門

博多官内町の米屋。仙厓との麦飯逸話あり。仙厓廟前奉献石燈籠寄進者の一人。

 

福井平助

博多掛町に住んでいた博多商人。仙厓廟前奉献石燈籠寄進者の一人。

 

荒巻軍平

名は行信、通称軍平、歌をよくす。天保元年三月、虚白隠を訪ね、仙厓より「三徳宝図説並序」をもらっている。仙厓廟前奉献石燈籠寄進者の一人。

 

 

宮国正三郎

一朝軒の虚無僧、「仙厓和尚葬列図」に仙厓の棺の後方に列して尺八を吹奏している二人の中の一人。仙厓廟前奉献石燈籠寄進者の一人。

 

経歴不明

楢崎次吉/石橋嘉作/青柳忠次郎/安河猪六/森田六次/古野甚右衛門/広瀬清吉/春田正助/田中長兵衛/小林藤平/山田喜久/三苫藤右衛門/下関弥五郎/安河内良甫